【現場から考える「里海」#01】
年が変わっても、漁港の朝は、淡々と続いている。

なぜ「里海」という言葉が気になったのか
前回の記事では、私がなぜ「里海」という言葉に向き合うようになったのかを書きました。
その後、現場に足を運び、人と話す中で、
もう一つ気になっていることがあります。
それは、「里海」という言葉が、
現場ではあまり使われていない、という事実です。
現場で、この言葉をあまり聞かない理由―大阪湾の漁師さんとの会話から
そう、実際、大阪湾の漁師さんとの会話や、水産関係者との会話の中で、「里海」という言葉や表現はほとんど出てきません。どうしてなのでしょうか。
「里海」という言葉には、少し、もしくは遠い昔の「海」という響きがあるのでしょうか。今の海岸線や、漁業と周りの人たちとの関係性に馴染まないのかもしれません。すっかりむかしの面影を失くした海を前になんだか気恥ずかしい言葉なのかもしれません。

言葉が先に立つと、こぼれ落ちるもの
昔の「海と、そこに住む人たち」との関係を思い起こすに、決して気恥ずかしいとか、忘れてしまうとか、そんな気持ちにはならなくてよいと思うのです。純粋に、「きれいな海が好きだ」、「おいしい魚が食べたい」そんな気持ちが大切だと思うのです。今の制度や「里海」という言葉に縛られず、また、あのきれいな海と過ごしたいという気持ちが、大切な気がします。
だから私は、言い切らない書き方をしたい
もちろん、漁師さんたちだけで解決する問題ではありませんし、「海を愛する人たち」はたくさんいるのです。
そういう人たちと、ゆるく、しかし確実に繋がっていきたいと思っています。そして、少しずつ「里海」という日本の原風景ともいえる「人と自然が一体となった」、「里海づくり」に挑戦したいのです。
※この記事は、
「現場から考える『里海』」シリーズの第1回です。
大阪湾の漁港や水産の現場で感じたことを、
記録として少しずつ書いていきます。

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